Glenn Diesen教授によるこのインタビューでスコット・リッターは、トランプ政権が公表した新しい「国家安全保障戦略(NSS)」を、感情ではなく一貫した戦略として読み解いています。彼によれば、トランプは選挙キャンペーンの頃から一貫して「フォートレス・アメリカ(Fortress America)」路線を語っており、それが今回の文書で公式化されたに過ぎません。すなわち、最優先は「西半球(アメリカ大陸)の安全保障」を確立し、その次に対中競争のためにアジア太平洋に資源を振り向ける。その代償として、ヨーロッパと中東に対する軍事的関与を意図的に縮小する――これが基本構図だと説明します。日々の発言だけを見るとトランプは支離滅裂に見えるが、長期的なベクトルをプロットすると「当初の公約どおりの方向に一直線に進んでいる」とリッターは強調します。
次にリッターは、イデオロギーから現実主義への転換という視点から、バイデン政権のNSSとトランプ版を対比します。バイデン文書は「ルールに基づく国際秩序」と「民主主義の防衛」を中心理念に据え、アメリカ的価値観の対外投射を正当化していました。これに対しトランプは、「アメリカの価値を守る場所はまず国内であり、国外に説教する資格があるのか」という根本を問い直し、「プーチンはキラーだ」という質問に対して「我々も多くの人を殺してきた」と答えるような、露骨なリアリズムを示してきたとリッターは指摘します。トランプにとって外交は善悪や理念ではなく取引であり、「我々の側に付き、我々の利害に沿って動くならカネを出す。そうでなければ出さない」という、極めて実利的な世界観がNSSに反映されていると解説します。
この文脈でリッターは、NATOとEUに対する評価の差をあえて誇張しながら描きます。NATOは「アメリカ礼賛」一色で、事務総長は米国の指導力を褒めちぎりながら国防費増額を受け入れる。一方で、EUは「日の長さと同じくらい反米的だ」とまで言い切り、欧州議会やEU官僚の文書を読むと、米国を道徳的・政治的に下位に見る傾向が露骨だと主張します。そして、同じ政治家がEUの場では米国をなじり、NATOの会合では「頼れる父親」としてアメリカにすり寄る二重基準を、トランプ陣営はもはや容認しないと強調します。特に、言論の自由や野党政党の弾圧(ドイツのAfD、ルーマニア、モルドバなど)を「民主主義の名の下」に進めながら、米国には選挙干渉するなと説教するヨーロッパのスタンスは、トランプにとって「反米そのもの」と見なされているという分析です。
リッターは感情的な言葉を交え、ヨーロッパがアメリカに対して忘恩行為をしていると非難します。第二次世界大戦で米軍は西ヨーロッパを解放し、10万以上の兵士がヨーロッパの土に埋まった。戦後はマーシャル・プランなどで西欧経済を再建し、「あなたがたは我々の犠牲の上に存在している」とまで言い切ります。そのうえでドイツに対しては、国連憲章第53条の「敵国条項」を持ち出し、「最大の軍拡」「対ロ戦の準備」といった今の言動は、再び攻撃的国家として扱われても仕方がない、と極めて挑発的な警告を発します。欧州が米国を罵倒しつつ安全保障とカネだけを求めるなら、「もう小切手の空白欄にはサインしない世代のアメリカ人」が対抗措置に出る――これが新NSSの精神だというのが彼の見立てです。
NATOについてリッターはさらに踏み込み、「NATOは終わった」と断言します。加盟国の中には、創設時の文化的・政治的価値を共有しない国が増え、本来守るべき対象と合致していない。そのため、トランプ政権は集団安全保障から二国間安全保障へと軸足を移しつつあり、すでにNATOのロジスティクスや通信といった基盤から静かに米国のプレゼンスを引き揚げ始めていると指摘します。例えば、米国なしではNATOは大規模演習ひとつ機能させられないにもかかわらず、今後米軍はそれに協力しない。結果として、NATO維持コストはヨーロッパ側に重くのしかかり、多くの国が離脱して米国との二国間協定に流れるだろう、と予測します。スコット・ベッセントがTVで語ったように、NATO条約第5条は「武力派兵」を義務づけておらず、「武器を売るだけ」でも形式上は履行になり得るという解釈が、実際の政策になりつつあるというわけです。
この対欧戦略の裏側には、ロシアに対する扱いの変化があります。リッターによれば、今回のNSSではロシアは「敵」ではなく「安定のパートナー」として位置づけられており、これは従来のワシントンの常識からすれば大転換です。もちろん、モンロー主義的な西半球支配の発想がキューバやベネズエラなどで露骨な緊張を生む点は、ロシアから見れば懸念材料ですが、全体としては「合理的な方向転換だ」とロシア側は評価するだろうとリッターは言います。ただし、INF条約やイラン核合意(JCPOA)からの離脱で見られたように、トランプ政権自身も過去に公然と虚偽を用いて合意を破った前歴があるため、ロシアは「文書の方向性」には慎重な期待を持ちつつも、「アメリカは信用できない」という根本認識を維持するだろうと分析します。
ウクライナ戦争については、このNSSが事実上「ゼレンスキー政権の終わり」を告げるものだとリッターは見ています。ウクライナは短期的に1200〜1500億ドル規模の資金を確保できなければ、財政・政治の両面で生存が危うくなる。すでに戦場ではウクライナ軍が連日のように押し込まれており、このトレンドが反転する見込みはない。それにもかかわらず、ゼレンスキーはトランプに「過ちを認め和平案を受け入れる」方向に転じるのではなく、「トランプを敵視するヨーロッパ側」と歩調を合わせている。これこそが致命的な戦略ミスであり、米国は今後ますますゼレンスキーから距離を取り、ロシアに対する政治的・経済的な妨害を控える方向へと動くだろうと予測します。ヨーロッパは武器も経済力も外交チャンネルも不足しており、米国抜きではウクライナを支え切れないという現実が浮き彫りにされています。
中国については、NSSが「通常戦力でのオーバーマッチ(優越)」という強気の目標を掲げている点をリッターは批判的に見ます。米造船能力と中国造船能力を比較すれば、艦艇数で米国が中国に優越する構想は現実離れしている。結局、米中対立の決着は軍事ではなく経済の力学に左右され、「全面的な貿易戦争は非現実的、熱戦は自殺行為」という相互依存が大前提になると述べます。NSSの次に出てくる国防総省の「国家軍事戦略」や核態勢に関する文書が、実際にどれだけこの対中強硬ラインを軍事力に落とし込めるのかが、今後の注目点だと締めくくります。
最後にリッターは、米欧関係の将来像としてかなり暗いシナリオを描きます。欧州が「アメリカを敵」と見なしてデカップリングや米国債の売り浴びせなどに踏み込めば、欧州内部は複数の断層線に沿って分裂し、米国はCIAを含むあらゆる手段で「味方にする国」と「潰す国」を選別していくだろうと警告します。アメリカ大使館とCIAステーションは各首都に深く入り込み、歴史的にもフランス・イタリア・ドイツなどで政変を演出してきた。その経験を基盤に、「反トランプ」「反米」を掲げる政権は容赦なく標的にされる、という非常に露骨な見方です。その際、ヨーロッパは「友としてのパートナー」ではなく、「ドル体制を下支えする準植民地的な存在」として扱われ、ユーロの弱体化や国別通貨への回帰を通じて、欧州を細かく分割統治する構図が想定されています。
リッター自身は、このような帝国的アメリカの方向性に賛成しているわけではないと明言します。彼が望むのは、1970〜80年代のような、米欧が対立しつつも協調的で、冷戦構造の中で安定していた関係だと語ります。しかし、EUエリートがロシアとの和解を拒否し、アメリカに依存しながらアメリカを罵倒し、ウクライナ戦争をエスカレートさせてきた結果、「政治的西側(ポリティカル・ウェスト)」そのものが崩壊に向かい、21世紀はヨーロッパにとって非常に厳しい世紀になるだろう――これが、彼がこのNSSから読み取る冷徹な結論だとまとめています。
