リチャード・ウォルフは、マルクス経済学者で、マサチューセッツ大学アマースト校の経済学名誉教授、ニュー・スクール大学の国際関係大学院プログラムの客員教授でもあります。
Glenn Diesen教授は、この対談では、リチャード・ウォルフが最新の米国国家安全保障戦略(NSS)を手がかりに、「アメリカ帝国の終わり」とポスト覇権の世界秩序について、大きな歴史の流れの中で位置づけています。ウォルフによれば、この新NSSは、作成者たち自身は決してそう認めたくないものの、「もはや米国は世界を支配できない」という事実上の自己告白です。戦後長く語られてきた「米国例外主義」「永続する覇権」「自由世界のリーダー」という物語は、第二次世界大戦後の非常に特殊な条件の上に成り立った“暫定的な状態”にすぎなかったと彼は強調します。大戦で欧州・日本・ロシアなど潜在的な競争相手が壊滅し、米国本土のみが工業基盤を温存した結果、米国は大恐慌から戦時需要によって立ち直り、膨大な貯蓄と需要を抱えたまま戦後ブームに突入しました。この異常な有利な立場が、マーシャル・プランなどを通じた「援助」と称する輸出拡大策と結びつき、ドル基軸体制・石油ドル体制も相まって、世界が米国を“補助金”で支える構図を生み出したというのがウォルフの見立てです。
しかし彼の描写する現在の状況は、その構図の「静かな崩壊」です。ドルの国際使用や石油ドルシステムによって世界から集めた資金で、米国は自国民に増税することなく海外軍事介入や外交政策を賄ってきましたが、新興国やグローバル・サウスはもはや、その役割を引き受ける気はなくなっている。米軍はベトナム、イラク、アフガニスタンなど、世界で最も貧しい国々との戦争さえ決定的に勝ちきれなくなり、軍部内部はこの現実を痛感している。今回のNSSは、「世界全体の覇権」から「西半球(アメリカ大陸)を何とか抑える覇権」へと野心を縮小するものであり、モンロー主義の再登場だが、19世紀の拡張主義ではなく、むしろ“撤退と囲い込み”としてのモンロー・ドクトリンだとウォルフは読み解きます。
この戦略転換の最大の“犠牲者”として彼が指摘するのがヨーロッパです。米国にとって欧州は、もはや対等な「同盟」ではなく、朝貢をさせる“属国圏”に近づいている。EUはロシアからの安価なエネルギーを断たれ、はるかに高価な米国産LNGを長期契約で購入させられ、産業競争力を自ら削いでいる。さらに、米国に巨額投資を約束し、欧州で調達した資金を米国経済に流し込むよう求められている。この構図をウォルフは、ローマ帝国の周辺諸国やオスマン帝国の属領が本国に「貢納金」を支払っていた構造になぞらえます。EUがロシアの凍結資産を担保にウクライナ向け融資に利用し、それをEU全体で負担する計画も、加盟国間の分断と将来の債務負担リスクを増幅させるものであり、「統合」ではなく「崩壊」の方向に働くと彼は見る。こうした中で、欧州が軍拡路線に走っても、既に失われた軍需産業基盤を持たない以上、その支出は結局他地域(とりわけ米国など)への需要流出に終わり、欧州の地位をさらに弱めるだけだと批判します。
一方でウォルフは、欧州にとっての「別の道」も提示します。それは単なる福祉国家や規制強化ではなく、企業レベルの生産関係を変える“本来型の社会主義”への転換です。これまで欧州の社会民主主義・社会主義政党は、資本主義企業を前提としつつ税と規制で是正するにとどまり、工場や企業の所有・運営構造そのもの――トップダウンの雇用者/被雇用者関係――には手をつけてこなかった。マルクスが本質的に問題視したのは、所有主体が国家か民間かではなく、支配と服従の生産関係であり、そこが変わっていない限り「国有企業」であっても資本主義的支配は残る、とウォルフは解釈します。もし欧州が企業の所有と運営を労働者協同組合型に移行させ、生産の現場を民主化することができれば、中国を含むこれまでの「国家資本主義」と一線を画した、新たな社会主義モデルとして世界に再浮上する可能性がある——彼はそれを長期的な“ジャンプ”のシナリオとして描きます。ただし、現時点の政治情勢から見れば実現可能性は低く、「欧州がその自己認識と政治意志を持てるかどうか」が決定要因だとも率直に認めています。
ウォルフはまた、トランプ現象を「一人の異常な政治家」としてではなく、「アメリカ支配層の本音の表現」として捉えます。トランプは粗野で無知に見えるが、その政策――対中経済戦争、イラン核合意離脱、NATO軽視――は支配層の大枠の利益と矛盾せず、バイデン政権も基本路線を踏襲している。つまり、問題は人物ではなく体制であり、「トランプが去れば元に戻る」というヨーロッパの期待は誤りだと指摘します。米国内においても、欧州への同情や連帯の声はウクライナ問題以外では急速にしぼんでおり、そのウクライナ支援支持ですら時間とともに弱まっている。ウクライナ戦争は事実上敗北に向かっており、その責任をゼレンスキーや欧州側の腐敗に転嫁する報道が増えているが、根本には「もはや米国は軍事的に勝ちきれない」という深層の現実があると彼は見る。
こうしたなかで、米国が「勝てる戦争」を求めて中南米に視線を向けている構図も詳細に論じられます。モンロー・ドクトリンは本来「他の大国を西半球から排除する」ための原理でしたが、現在の形はむしろ「地域諸国の主体性を無視して、米国が一方的に支配する権利宣言」に近い。ベネズエラ侵攻の示唆、キューバの締め付け、コロンビアへの圧力、さらにはメキシコへの軍事攻撃を麻薬対策の名で語るトランプの発言などは、世界覇権を失いつつある大国の苛立ちと“見せしめ的支配欲”の表れだとウォルフは分析します。その際に麻薬問題やキャンパスでの「反ユダヤ主義」騒動といったテーマは、国内の不満や反イスラエル感情を抑え込むための政治的道具として利用されていると指摘し、社会問題を外敵や少数派のせいにする典型的なプロパガンダ手法だと批判します。
しかし、中南米諸国はスペイン・ポルトガル支配から20世紀の欧米介入まで長い植民地主義の歴史を経験しており、今日では強い反植民地・脱植民地意識を共有している。そのため、米国がもしベネズエラなどに本格的に軍事介入すれば、地域全体での反米感情の爆発と、ロシア・中国・BRICSからの軍事的・経済的支援の流入を招く可能性が高いとウォルフは見る。実際、中国の対米輸出は減少する一方で、対BRICSやグローバル・サウス向け輸出が大きく伸びており、制裁の脅しはもはや“決定的な武器”ではなくなりつつある。これは、「制裁を恐れて米国に従う」時代から、「制裁を迂回する新しい貿易・金融インフラが整いつつある」時代への移行だと彼は評価します。
最後にウォルフは、ロシア凍結資産の利用など、西側自身が進めている措置が長期的に自分たちの足を撃っている点を強調します。国家の準備金やソブリン・ファンドが政治的判断で没収される前例を作ったことで、「誰が自国の外貨準備を欧州や米国の管轄下に置き続けるのか」という根源的疑念が世界中の政府・富裕層の間に広がる。ニューヨークの高級不動産が、これまで世界中の富裕層にとって安全な資産退避先だったことを例に挙げつつ、「明日、外国人所有が違法だと決められない保証はどこにもない」と警告する。結果として、各資産クラスが静かに米国・欧州から“脱出”を始めており、もはや単一の覇権国家が世界の資本と貿易を独占的にコントロールする時代は終わった——今起きているのは、その事実が「年単位ではなく、週単位で可視化されていくプロセスだ」と彼は結びます。
