このThe Duranの対談では、スタニスラフ・クラピヴニクが、ウクライナ戦争が「決定的な崩壊局面」に入りつつあるという認識を、前線での体験に基づいて詳しく語っています。彼は最近までアウディーイウカ周辺などの激戦地に滞在しており、そこから戻ったばかりだと前置きしたうえで、現在起きているのは、ゆっくり転がっていた雪玉が一気に巨大な雪崩へと変化しつつある段階だと表現します。パヴロフスク(Pakosk)の陥落をはじめ、ウクライナ側が一時的にAI偽動画などで否定しようとした事象も、既に覆い隠せない現実になっていると指摘します。これまで何年もかけて構築されてきた大要塞帯が次々と突破され、その背後に存在していた防衛線も、作戦・人員双方の愚策によって十分な深さを持てないまま崩壊している、というのが彼の基本的な見立てです。
クラピヴニクは、マコフスカやメラドと呼ばれる地区を具体的に挙げながら、ウクライナ軍部隊が都市部の廃墟に取り残され、2,000〜2,500名規模が孤立状態にあると述べます。飢餓と寒さがじわじわと兵士の体力と精神を蝕み、ロシア軍は無理に突入せず「時間と気候」を味方につけて消耗させていると説明します。降伏を試みる兵士は、自軍の督戦部隊や背後部隊によって川に突き落とされるなどして殺される事例もあるとし、結果として彼らはロシア軍が市街を制圧してくるまで姿を晒せず、その間にさらに多くの死傷者が出ているという、極めて悲惨な状況を描いています。こうした強制的な「立ち死にを強いる指揮体系」は、前線部隊の士気崩壊と逃亡を加速していると彼は見ています。
地形と防衛線の崩壊についてクラピヴニクは、特にGura(フラ)やスラビャンスク、コンスタンティノフカ周辺の情勢を詳しく説明します。以前は塹壕・要塞・村落防衛線が連続していた地域が、いまや抜け道だらけになっており、Guraの東側の防衛は完全に崩壊、ロシア軍はわずか1日で最後の村々を突破して市街地東・中央部に進出したと語ります。その中で象徴的なエピソードとして、撤退する部下を押しとどめようとしたウクライナ軍大佐が、逆に部下によって射殺された事件を紹介し、軍規の崩壊と指揮統制の喪失が、局地的ではなく複数戦線で発生していると指摘します。彼によれば、この地域全体は「100kmにわたる開けた田畑と小村落」であり、いったん守勢側が崩れ、背中を見せて走り出せば、防御線の再建は不可能だと強調します。
対談の中盤では、いわゆる「大釜(cauldron)」と呼ばれる包囲の形成が詳細に語られます。ハルキウ東部やクピャンスク周辺において、1,000人規模の部隊が川に背を向けて孤立している小包囲と、2,500〜3,000人規模が別の包囲網に巻き込まれつつある大包囲が同時並行で進んでいると説明します。雨続きの暖冬のため、川は増水し流れも強く、氷も張っていないため、装備を抱えた兵士が泳いで渡ることはほぼ不可能です。渡河を試みれば凍傷や溺死の危険が圧倒的に高く、しかも対岸や上空からドローン・砲撃・小火器で攻撃される可能性があるため、「退却はほぼ自殺行為」になっているという現実を、彼は強調します。このような地形・気候条件が「包囲=即壊滅」という構図をつくり出している、と彼は見ています。
要塞構造に関しては、Cvesque(ツヴェスク)が「前線最強の防衛拠点」と西側で紹介される一方で、実際の最重要要塞はアウディーイウカとドネツク周辺であったとクラピヴニクは修正します。彼は自らアウディーイウカ跡地に入り、10階建て・横数百メートルの巨大集合住宅群が、内部に追加コンクリートを流し込まれた「半地下化・要塞化構造」になっていた状況を描写します。アメリカ製の防弾プレートや装備が散乱する中、通常の砲撃ではビル自体はほとんど崩壊せず、ロシア軍は大口径砲や航空爆弾など重火力を集中させる必要があったと説明します。それほどの「ナンバーワン要塞」が陥落した現在、後続の防衛線はその縮小版・簡易版に過ぎず、時間の問題で崩れていくしかないと彼は結論づけます。
また、ウクライナ側の防衛線構築の失敗として、バフムート背後に「第二線防衛」を建設しようとしながら、その工事に従事していた3,000人の熟練建設労働者や技術者を、ゼレンスキー政権がその場で徴兵・前線投入してしまった事例を取り上げます。結果として彼らは訓練もないまま戦死し、本来なら防衛線の縦の深さを作り出すはずだった人材・工事能力がゼロになったため、現在の防衛線は薄く脆く、突破されると後退しつつ持久戦を行う余地が残っていないと彼は批判します。これは、政治的パフォーマンスと短期的な「その場しのぎ」が、長期戦略の基盤を自ら破壊してしまった典型例だというニュアンスです。
地形と気象の話に戻ると、クラピヴニクは「黒土(チェルノーゼム)」の泥の恐ろしさを強調します。黒土は水を含むと粥のようになり、兵士が数百メートル走るだけで疲労困憊し、靴も靴下も泥に持っていかれることがあるという体験談を語ります。ロシア戦車ですら通行困難になるレベルで、西側戦車のように履帯が狭い車両はさらに沈み込みやすく、機動力を失うと説明します。このような条件下で、開けたステップ地帯を横切って退却することは、ドローンと砲撃の時代においてほぼ「処刑場を駆け抜ける」のに等しいとし、かつての教科書的な野戦退却が成り立たない新しい戦場環境が出現していると示唆します。
ザポリージャ方面については、防衛線がごく限られた拠点に依存し、その間は広大なステップが広がる構造上の弱点を指摘します。北の要塞帯をロシア軍が迂回して背後に出ており、防衛線を一つ一つ「後ろから巻き取っている」ため、ウクライナ側としては「深さのない線」を横に引いただけで、本格的な縦深防御にはなっていないと説明します。ザポリージャ市自体も川の東岸に張り付く形で展開しており、背後は川、正面は開けた地形で、包囲されれば撤退も補給も極めて困難になります。ロシアは橋を自身の将来の進撃に必要とするため破壊するつもりはなく、むしろウクライナ側が撤退妨害や戦略的撤退のために橋を落とそうとする可能性の方が高いと分析します。ソ連製橋梁が核攻撃にも耐えうる過剰設計で非常に強固であることも、ヘルソンの事例を引きながら述べています。
終盤では、「ウクライナにまだ打つ手はあるのか」という問いに対し、クラピヴニクは極めて悲観的な見解を示します。NATOと米軍が全面投入されたとしても、現状のロシア軍をウクライナの戦場で押し返すことは不可能であり、むしろ第二次世界大戦級の消耗戦となって、両側にとって犠牲が増えるだけだと断言します。ロシアは経済力と動員力の両面で欧州を圧倒しており、理論上は3,200万人規模の軍事経験者を動員しうるポテンシャルがあると指摘します(実際にそこまで動員することは後方支援能力の制約からないにせよ、その潜在力の差が勝敗を決めるという意味)。彼が「最善」と考えるのは、ドニエプル川西岸への計画的後退ですが、それも最終的な敗北を避ける策ではなく「時間稼ぎ」に過ぎないと認めています。
最後にクラピヴニクは、人員面での崩壊を象徴する数字として「40万件の脱走記録」を挙げます。これは、イギリスとフランスの正規軍総兵力に匹敵する規模であり、しかも最近の脱走は新兵ではなく、最前線で戦ってきた古参兵やベテラン兵士が中心だと強調します。彼らは自らの未来が「戦死」「重傷か放置」「捕虜」のいずれかしかないと悟り、第四の選択肢として「勝手に戦場を去る」道を選んでいるのだと説明します。クラピヴニクの総括は、ウクライナ軍が道徳的にも物理的にも崩壊過程にあり、指導部はヒトラー末期のように「最後まで立てこもれ」という命令を出し続けているが、それはただ包囲と壊滅を繰り返すだけだ、という極めて厳しいものでした。
