スコット・リッター: なぜロシアはドンバス、ルガンスクが戦う価値があると認識するのに時間がかかったのか?

皆様もよくご存じのScott Ritter氏が、6月11日にRTに

“Why did it take Russia so long to realize Donbass was worth fighting for?”

(なぜロシアはドンバスが戦う価値があると認識するのに時間がかかったのか?)を寄稿しています。

Scott Ritter氏は、元アメリカ海兵隊情報将校であり、「ディスアーマメント・イン・ザ・タイム・オブ・ペレストロイカ:アームズ・コントロール・アンド・ジ・エンド・オブ・ザ・ソビエト・ユニオン」の著者です。

彼はソビエト連邦でINF条約の実施を監督する査察官として勤務し、湾岸戦争中にはシュワルツコフ将軍の参謀を務め、1991年から1998年まで国連の兵器査察官として活動しました。

最近では、サンクトペテルブルク国際経済フォーラムにパネリストとして参加すべく、ロシアに渡航の途中で、JFK国際空港で国務省職員にパスポートを没収されたことでも有名になりました。

同投稿記事は、以下のような主旨で書かれています。

Scott Ritter氏は、ウクライナとの戦争の中心地であるドネツクとルガンスクを訪れ、その状況を詳細に報告しています。

ドネツク国際空港の戦いの10周年を記念して、同氏はチェチェン共和国、クリミア、ケルソン、ザポリージャなどの地域を経てドネツクに到着しました。

この地域は、ロシアの「贖罪の道」として知られる場所であり、ロシアとウクライナの対立の根底にある問題に触れる旅の終点でもあります。

ドネツクへの道中、同氏はスパルタ大隊の護衛を受けながら、ウクライナのゲリラや破壊工作員の脅威を感じました。

マリウポリでは、2022年の激しい戦闘とその後の街の復興の兆しを目撃しました。

ドネツク市では、戦争の中でも日常生活が続いている一方で、破壊された市場や建物が多く残っていることに気づかされました。

同氏は、ドネツク人民共和国の知事デニス・プシリンとヴォストク大隊の司令官アレクサンドル・ホダコフスキーに会い、それぞれの視点から戦争とその影響について話を聞きました。

プシリンは、ドネツク人民共和国の設立初期から関わり、ホダコフスキーはウクライナの警察部隊からドンバスの抵抗に加わった人物です。

彼らはロシアの支援に感謝しつつも、その支援が遅れたことに対する苛立ちを感じていました。

ルガンスク市では、戦争で亡くなった子供たちの記念碑「天使の小径」を訪れました。

著者は地元の人々との交流を通じて、ロシアの支援が遅れたことに対する悲しみと苛立ちを感じました。

ルガンスクの人々は、ロシアの支援に感謝しながらも、なぜもっと早く助けが来なかったのかという疑問を抱いています。

同氏は、この疑問が今後もロシアが向き合い続ける課題であり、その遅れによる犠牲と心理的な負担は計り知れないものであると感じています。

ドンバスの人々は、ロシアの支援を受けて喜んでいる一方で、支援が遅れたことで多くの犠牲を払った現実と向き合わなければならないのです。

では、プーチン大統領は、なぜロシアはドンバス、ルガンスクを解放するのに時間がかかったのでしょうか?

2014年のクリミア併合後、ロシアはすでに多くの制裁を受けており、ドンバス、ルガンスクに直接介入すれば、さらなる制裁を招く恐れがあり、国際社会からの強い反発や経済制裁を避けたかった可能性があります。

また、ロシアは、当初は外交交渉を通じて問題を解決しようと試みており、ミンスク合意などの和平交渉は、その一環と考えられますが、これらの交渉は長引き、最終的には効果を上げることができませんでした。

ドネツクやルガンスクの多くの住民は、ロシア語を話す旧ソ連の人々であり、ロシア人同様にスラブ系民族で所謂、同胞と言ってもよいかと思います。

愛国心が人一倍強いプーチン大統領が迫害を受け続けた同胞からの救いの声を聴いて、しかしながら、旧ソ連崩壊に伴い、別の国民となってしまった同胞を救済したくても、様々な理由で同胞の救済に時間がかかってしまった心の葛藤は想像を超えるものがあったのではないかと推察します。

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